7月7日
7月7日はやっぱり雨降りですね。すこ~し、曇り空ですが夜半はどうでしょうか?
フェースブックにせよ、ブログにせよ発信し続けるのはなかなか大変です。日々いろんなことが起こり、いろんな思いが錯綜しますが、自分でもまとまりがつかなかったり、個人的なことであったり・・・。
「個人的なことは、すべて政治的なこと」、この名言もまたしかりですが、日々の葛藤を文字化して、
何らかのアクションをしていくことも、これまたエネルギーのいることです。自分のできる範囲で取捨選択をしながら、優先順位を考え、ささやかに積み重ねていくしかありません。
最近のアクションの1つは、対等な話し合いの積み重ねの練習です。これまでもいろんな活動をやってきましたが、最終的にこれができなければ、民主的な合意形成には至りません。仕事としてやっている国際理解教育のワークショップはまさにそのスキルを積むものですが、仕事以外の人間関係の中でもこのことがとても気になります。
ある選挙運動を手伝ったときにも、それを強く感じました。また、個人的な対人関係においてでも、いつもそれが頭をよぎります。
どんなに理念や理想が似通っていたとしても、相手を尊重して対等な話ができない人はたくさんいます。
最近見た映画の中の1つですが、「RBG」(ルース・ベイダー・ギンズバーグ)、アメリカの(女性)最高裁判事のドキュメントですが、彼女は女性の権利を法の下の平等の観点から、さまざまに改革を行った人です。しかし、彼女の友人の一人に、彼女とは全く信条の正反対の保守の男性がいます。その彼との関係性をみるにつけ、思想信条が違えど、互いを尊重しあい話し合いができる関係もあることがよく理解できます。相手を個人として対等に尊重すれば、話し合うことができるということです。なかなかおもしろい関係でした。
最近は似通った理想を語る人たちにそれができてないことを感じることが多く、がっかりが多かったので、なるほどと思いました。
自分だけが正しい、自分がスタンダードと思い込んでいると、人の声に耳を傾けることができません。
二人で話していても、一方的に5分以上、立て続けにしゃべり続ける人、すでに人権侵害です。(笑)
(対等な)親しい人と話していて、話す時間のバランスを考えてみたことがあるでしょうか?ヒフティ・ヒフティなら、気持ちよい会話ですが、7:3、8:2、9:1なら、圧迫感でおしつぶされそうになります。気持ちよくありません。最近は気持ちよくない圧迫感を感じると体が避けてしまいます。
多様性の尊重がいわれて久しいですが、自分とは異なることを受け止める力こそ、今問われていると思います。
それは同意することではなく、相手を受け止め、尊重するところから始まり、対等な関係性が築かれていくと思います。
民主主義の原点もそのあたりかな~と、長年の活動や人間関係をふりかえりつくづく思います。反省ももちろんあるので、自分にも言い聞かせるように思うようにしています。また、
気づきのタイミングも人それぞれと思い、寛容になることも心がけていますが、気持ちよくない関係性はやはり避けようとしていることに気づきますが、自分にエネルギーがなくなってきていることも確かです。エネルギーの使い方も自然と考えているようです。
日本社会に増々蔓延している同調圧力に流されることなく、自由な個人としてだれもが尊重される社会・・・・。
なんといっても、抑圧されない自由が心地よいからです。
リベラルな人たちもその辺が浸透するといいですね~~。
フェースブックにせよ、ブログにせよ発信し続けるのはなかなか大変です。日々いろんなことが起こり、いろんな思いが錯綜しますが、自分でもまとまりがつかなかったり、個人的なことであったり・・・。
「個人的なことは、すべて政治的なこと」、この名言もまたしかりですが、日々の葛藤を文字化して、
何らかのアクションをしていくことも、これまたエネルギーのいることです。自分のできる範囲で取捨選択をしながら、優先順位を考え、ささやかに積み重ねていくしかありません。
最近のアクションの1つは、対等な話し合いの積み重ねの練習です。これまでもいろんな活動をやってきましたが、最終的にこれができなければ、民主的な合意形成には至りません。仕事としてやっている国際理解教育のワークショップはまさにそのスキルを積むものですが、仕事以外の人間関係の中でもこのことがとても気になります。
ある選挙運動を手伝ったときにも、それを強く感じました。また、個人的な対人関係においてでも、いつもそれが頭をよぎります。
どんなに理念や理想が似通っていたとしても、相手を尊重して対等な話ができない人はたくさんいます。
最近見た映画の中の1つですが、「RBG」(ルース・ベイダー・ギンズバーグ)、アメリカの(女性)最高裁判事のドキュメントですが、彼女は女性の権利を法の下の平等の観点から、さまざまに改革を行った人です。しかし、彼女の友人の一人に、彼女とは全く信条の正反対の保守の男性がいます。その彼との関係性をみるにつけ、思想信条が違えど、互いを尊重しあい話し合いができる関係もあることがよく理解できます。相手を個人として対等に尊重すれば、話し合うことができるということです。なかなかおもしろい関係でした。
最近は似通った理想を語る人たちにそれができてないことを感じることが多く、がっかりが多かったので、なるほどと思いました。
自分だけが正しい、自分がスタンダードと思い込んでいると、人の声に耳を傾けることができません。
二人で話していても、一方的に5分以上、立て続けにしゃべり続ける人、すでに人権侵害です。(笑)
(対等な)親しい人と話していて、話す時間のバランスを考えてみたことがあるでしょうか?ヒフティ・ヒフティなら、気持ちよい会話ですが、7:3、8:2、9:1なら、圧迫感でおしつぶされそうになります。気持ちよくありません。最近は気持ちよくない圧迫感を感じると体が避けてしまいます。
多様性の尊重がいわれて久しいですが、自分とは異なることを受け止める力こそ、今問われていると思います。
それは同意することではなく、相手を受け止め、尊重するところから始まり、対等な関係性が築かれていくと思います。
民主主義の原点もそのあたりかな~と、長年の活動や人間関係をふりかえりつくづく思います。反省ももちろんあるので、自分にも言い聞かせるように思うようにしています。また、
気づきのタイミングも人それぞれと思い、寛容になることも心がけていますが、気持ちよくない関係性はやはり避けようとしていることに気づきますが、自分にエネルギーがなくなってきていることも確かです。エネルギーの使い方も自然と考えているようです。
日本社会に増々蔓延している同調圧力に流されることなく、自由な個人としてだれもが尊重される社会・・・・。
なんといっても、抑圧されない自由が心地よいからです。
リベラルな人たちもその辺が浸透するといいですね~~。
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